2013年 09月 21日

情報過多による生きにくさ

新しい環境でストレスの溜まっているこの数週間、家庭内では相変わらず大小の諍いが絶えません。

こういう状況で、以前に3回ほど参加したVHSのギフテッドコース(おもに6歳から8歳のギフテッドの子どもを対象とし、だいたい2時間×2週が1セットで楽しみながら多様な科学の実験を行うコース)が最近続けてありました。

が、本人も精神的に余裕がなく、泣きながら「行きたくない!」と訴えられたこともあり、残念ながらキャンセルいたしました。

そのコースに来る子どもたちはだいたい毎回違うので(中には常連もいますが)、見知らぬ子たちとのやりとりに疲れる、という感じでしょうか。

私自身は少し余裕が出て来たので、ずっと中断していた、 Jenseits der Norm-hochbegabt und hoch sensibel?をまた少しずつですが読み始め、今後に役立つ情報を少しでも得ようと思っています。

息子のような感受性の極めて強い子ども(ドイツ語では hoch sensibel ) を持つ親にとっては、この中にあるギフテッドのドイツにおける具体例を読んでいると、「そうそう、それそれ!」と思わず独り言が出てしまいます。

特に今のように、新しい友だちとの関係がうまく機能してない、そこからくるストレスで、つらい思いをしている彼を毎日見ているので、似たような例を読むことは母としても精神的にかなり助けてもらってます。

その中で、ギフテッドはいわゆる small talk、つまりあたりさわりのない世間話が不得意な場合が多いというくだりがありました。

自分の頭の中の広くて深いあらゆる情報を瞬時に引き出し、怒濤のように発信してしまいがちであることから、上っ面の部分で話をとどめる社交の場での会話がいかんせん難しい。すでにみなの中では一段落してしまった話の細部を、さらに掘り返し延々としゃべる、とか。

また、ふつうの人にとってはごくわかりきった自明のことが、ギフテッドにとってはとてつもなく複雑なものになりうる、と。たとえば、

僕はいつ笑ったらいいのか?

人と握手をするのは、どういう場合にすべきなのか?

どうやって知らない人に対するべきなのか?

もし誰かが僕に、『じゃあ今度は君のことを話してよ!』
と聞いたら、どうやって答えたらいいのか?


論理的でないことをうまく自分の中に「適当に」おさめて消化することができない、ということでしょうか。

また、私がとても反応したのは、誰かとの諍いの際に、その相手の怒りの背後に隠れている哀しみであるとか日常の不満を同じように感じてしまい、そのために相手に抵抗する気持ちが失せてしまう場合が多い、というところ。

コージを見ていると、頭の中にあらゆる情報が一気に押し寄せるので、それを整理して(一般から見て)自然に見えるような反応、行動を導きだすのが難しいんだろうなあ、と思うことがよくあります。そのぎこちなさを自分でもわかっていて、それを感じてさらにパニックに・・ということも多々。

そしてさらに、諍いの際に傷つけられた本人として怒りを持ちながらも、相手に共感する気持ちも強いので、そのジレンマでどうしようもなくなってしまう、ということも。

しかし、ギフテッドにはそれらを補う知性がある、とこの具体例は結んでいます。ギフテッドが場数を踏んでそれらを自分の中に蓄積しながら社会性を身につけることで、充分に補えるだろう、と。

どういう分野に進むにしても、こういう「世間一般が考える普通」と自分との距離を認識して、それを否定せずにすむ落としどころを自分で見つけていく、ということに尽きるんでしょうね。

親としてできうる限りの援助をするつもりですが、つらい思いをしながらも結局は彼自身でやらねばならぬこと、ああ、道は長いなあと思います。やっぱり人間関係が一番難しいのよね。


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by dksh_okys | 2013-09-21 13:40 | OE ? OK !


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