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2014年 01月 10日

OE ? OK !


相変わらず激しいコージの OE( Overexcitabilities = 過度激動)について、今日はその具体例を少しあげてみようと思います。

このところ暖冬が続いているドイツ、下手したら東京よりも暖かいので、先日久しぶりに自転車のりに出かけました。

うちのアパートは地下に自転車置き場があるのですが、一目につかない倉庫なので盗難も多い。よって我が家の自転車3台はアパート内に置いています。つまりは自転車に乗る時はエレベータにてそれらをいちいち下におろさねばなりません。そして実はこれこそが、長らく我が家の大げんかの発端でした。

今でこそこれは、OE だな、と理解しましたけど、その認識に至るまではほんとに大変だったのです。

というのも、2台あるエレベータのうちひとつは充分大きいので自転車二つと人間二人は問題なく運んでくれるのですが、入れ方にちょっと工夫が必要です。

1)私の自転車をまず、進行方向をエレベータ奥に向けて入れ込む。
2)前輪を右側に曲げ、エレベータ左側にきちっと納める。
3)その後コージの自転車を、エレベータ右側に逆向き、つまり出る時に彼が進行方向そのままに、私より「先」にスムーズに出られるように入れる。

ということはコージはその間、私が先に乗って体勢を整えている間に外で待っていなければなりません。といってもたった5秒くらい、でもそれが待てないのです!

早くしないとエレベータが閉まる〜!

という強い恐怖があるんでしょう。

こちらが制するのを待たずに無理矢理入ろうとするので、こちらもうまく自転車をスペースに納めることができない、そのうちにますます「ああ、ドアが閉まる〜」(ドア下に人やモノがある場合は閉まりません!)と彼がパニックになり私との大バトルになる、という。

出る時も同じです。「早く出なければ!」との焦りから、ハンドルがつかえたりしてよけいパニックになるのですよ。

コージの思いは、

自分が先に入って先に出たい!

でもエレベータの大きさを考えたらそれは無理なことです。自転車に乗る前からそういうやりとりをするのも思いっきり消耗するので、一時は以下のようなめんどくさいことも。

まず最初にコージの自転車を下におろす。 → おろした自転車に鍵をかけそのあとまたアパートにもどる。 → そしてもう一台をおろす。

その間コージは一人でいることはもちろんできないので、つねに私にくっついてい行動、はたから見たら、

なんとも間抜けな光景だろうな・・・

と。そしてもちろん帰宅時も以下同じ。大きいエレベータがなかなか来ない時は、途中その間延々と待たねばなりません。そして親子でまたイライラするのです。

実はこれには伏線があります。

2歳くらいのころでしょうか。もうすぐ発車するという電車に私とコージが駆け込み、続いて乗り込もうとした夫の顔に、しまりかけたドアがあたってしまったのです。

その光景、父の痛そうな顔の記憶がコージの頭から離れないらしく、「ドア→すぐに閉まる→早くしなくちゃ!」という回路が出来上がってしまったようです。

もうひとつ。

日本のJRのエレベータにドアに子どもが手を挟まれて泣いているイラストのシールが貼ってあったのですが、その泣いている子の顔に強く共感してしまうんでしょう、

泣いてるエレベータはやだ〜

とJRのエレベータに乗ることを拒否(ベビーカーではそれも無理なんですが)、しまいには

JRの電車全てに乗れなくなり

これは現在までも続いています。

こうした経験が複合されて、エレベータ=閉まる恐怖、というイメージが益々大きく強くなるんでしょう。それに加えて自転車をうまく納めなければならないという焦りと重なり、よけいパニックになるようです。

あ、そういえばホテル滞在時に、レセプションやレストランがある1階と宿泊階10階を毎回階段で何度も行き来したこともありましたよ。

最近は実生活においては少し改善されてきたとはいえ、それは経験とか理性で抑えているのであって、ひとつの記憶を強く長く持ち続ける先の展開を予想して不安になる他人の悲しみに共感する、といったことからくる不安感とか恐怖感というのはむしろ大きくなっているのでは、と思うこともあります。

理屈をわかった今にいたっても、側にいるだけで私はおそろしくストレスを感じますが、そういう状態が四六時中続いているだろう本人はもっと大変です。一生続くというギフテッドのこうした感覚。それとなんとかうまくつきあわねばなりません。

OE はとうていまだまだ OK にはなりえませんが、彼は少なくとも私という理解者がいます。7歳に至っても彼が私から離れようとしないのは、この点なんだと思います。


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# by dksh_okys | 2014-01-10 13:56 | OE ? OK !
2013年 12月 31日

理想の嫁=マルタとの再会

友だち関係で悩みはいつも多いコージですが、幼稚園時代にできたとても仲のよい友だち2人のうちの一人、マルタ(6歳女子)と先日再会してきました。

彼女は昨年11月に、めったに会えない遠いところに引っ越してしまいましたが、そこは実は夫の故郷でもあるので年に何回かは会うチャンスもあるのです。

ギフテッドは年上とのやりとりが多いと一般的にはいわれているようですけど、幼稚園ではコージはむしろ、彼ら1歳下の子どもたちとよく遊んでいました。

マルタはとてもやさしくかしこくそしてとにかく愛くるしい! 幼稚園時代にもみんなに愛されていました。典型的な強いドイツ女子じゃないし(今のところ)、こういう子だったらいつでもOK!と、姑目線で私もずっと二人の仲を見守ってます。

そして彼女はとてもファンタジー豊かな女の子で、特にコージはこの部分で彼女と共有できるところがあるんでしょう。夏に遊びに行った時は、広い庭の大きな木のほこらを見つけて何かストーリーを考えたり、無数にあるかなりキッチュなオブジェを使って、二人であれこれ夢中で遊んでおりました。

ちなみにこの庭なんですが、子どもが遊ぶのにほんと理想的なんです。

なにしろ広い! それに古くて大きな木もあって、ビミョウに手抜きな手入れ加減も最高、花もたくさん咲いているけど草もぼうぼう生えている。しかも、さすが

ゲイの結婚式 に使用しされていた

というだけあって、なんだか too much なオブジェがあちこちに散乱していまして。

ああ、できることなら私も子どものときにこんな庭で毎日遊びたかった、と思いましたよ。「リラの花咲く家」、「秘密の花園」などを夢中で読んだ自分の幼い頃を思い出しました。

庭なしアパート住まいの我が家では、「もっと静かに歩きなさい!」と一日100回くらい注意している私。ああ子どもにとってはやっぱりかわいそうな環境だなあ、としみじみ思います。

ところでつい数日前がマルタの6歳の誕生日だったんですが、プレゼントとして「魔女の宅急便」DVDを贈りました。ドイツ語と日本語で観ることができるので、まずはドイツ語で、もしかしたら将来は彼女も日本語で楽しむことができるやもしれません。

というのもマルタの両親は純粋ドイツ人ですが二人とも大の日本贔屓。母の方は東京、父の方は大阪に滞在した経験があります。先日も

佐渡島 で食べた 明太子スパゲッティ

がいかにうまかったか !

という話題で盛り上がっておりましたよ。

ちなみに去年の彼女の5歳の誕生日には、新宮文明さんの「親子であそべる3ー5才のたのしいおりがみ」を贈ったのですが、これが大受け、日本語がわかる両親に手伝ってもらいながら折り紙に取り組んだそうです。

みそ汁ふりかけがダ大好きだというマルタ。そういう日本つながりの点でも貴重な友だちだったので、遠く離れてしまったのはホント残念ですが、これからも大切にしたいと思います。

最近、友だちのことで学校生活がいまひとつ楽しめていないコージくん、なんだかいろいろ自信をなくしているように思えていたので、マルタとの再会をとても楽しんでいるのを見て久しぶりにホッとしました。

それではみなさん、Guten Rutsch! =よいお年を! 

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# by dksh_okys | 2013-12-31 15:12 | 悩み多き友だち関係
2013年 12月 22日

ギフテッドの強烈な思春期、そしてその向うへ

突然ですがコージ君、小1にして身長はすでに137センチです。

雰囲気も周囲の友だちと明らかに違います。いつも2歳くらいは上に見られ、OE(= 過度激動)が強くかなりアンバランスではありますが、精神面でも実際の年齢より上だと思います。

以前にも紹介した本「Jenseits der Norm - hochbegabt und hoch sensibel?」の中に、成長期ごとにギフテッドの特徴や具体例を書いてある箇所があり、そのひとつが「Die Pubertaet (思春期)」でした。コージにとってはまだ大分間があるはずのこのテーマ、今の大変さがさらに加速するのか、いやそんな生易しいものではないんだろうな、と戦々恐々です。
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・・・ギフテッドの子ども体の成長と心の成長が同時でないこと、その点で親はどちらに合わせていいものか迷ってしまう。彼らは概して自分よりも年上の友だちに引き寄せられるが、その友だちとは、すでに少なくとも身体的には「自由」を楽しめる年齢である、という点が難しい・・・。

<ケースその1> 12歳の女の子の例。彼女は精神的にも身体的にもともに14歳と同じである。親としては彼女にどこまで許したらいいのか、年齢に従うのかそれとも実際に発達状況に合わせるべきなのか、いつも悩んでいます。

・・・ギフテッドの子どもが思春期を迎える際に、その強い感受性と繊細さ、傷つきやすさ、自己否定、反抗心など、この時期の「揺れ」がさらに強烈になるということは珍しくない。たとえばこの時期に問題になる最大の点は、なんでも議論したがる傾向と、しかしその議論の応酬に耐えるにはあまりにも繊細な感受性、この二つの矛盾に悩むことだ・・・

<ケースその2> フィリップは議論を著しく好み、自分が傷づくまで決して引かない。そのくせ、鋭い反応が自分に返ってくるととても深く傷つくのです。ある日のやりとりの際、彼は突然涙ぐみ、「自分は正当に扱われていない、尊重されていない!」と訴えたのです。両親として私たちは、彼に対していったい厳しすぎるのか、それとも弱腰すぎるのか、いつも悩むのです・・・

>>>この点は何も思春期だからではなく、ギフテッドの子どもには多い部分だと思いますが、この時期はその何倍もの強さでやって来る!ということなんでしょう。

7歳のコージも「批判的な態度で周囲に接しながらも、いざ自分が批判されると深く傷つく」というのは日常です。ただ、思春期になると、そうして抱えるテーマも当然深いものになるはずで、その分、周囲とのやり取りもディープで激しくなり自分もさらに傷つきやすくなる、ということでしょうか。なんだかそれを周囲で見ている自分を想像するだけで疲れます。。<<<

・・・自由になりたい、なんでもやってみたいというのはギフテッドの特徴だが、あまりにも目標を高く設定するがために、結局自分がそれに到達できないと感じてしまう。できるだけ早くできるだけ多く経験したい、一刻もはやく自立したいと思う一方で、その高い感受性のためにすぐに自分の限界に達してしまうのだ・・・

<ケースその3> 私たちが不在の際に、息子は友人たちとかなりハメを外したパーティをしました。度数の高いアルコールを飲んで大騒ぎをするやら家具を壊すやらで近所から苦情が来てしまったのです。

騒いでいる友人たちを制しようとしたがうまくいかず、自分の部屋に泣きながら籠ってしまいました。私たちが帰宅した時に深く後悔し取り乱している彼を見て、私たちもきつく言い渡すことができませんでした・・・

>>>両親がいない間のハチャメチャな騒ぎなんてみんな経験することだと思いますが、この例でも問題が起きるとパニックになり深く落ち込み「部屋に籠って」しまう。一般的に見れば年のわりにはななだか幼い行動でしょうけど、コージを見ているのでこの例もよくわかります。

こういう場合に親として、どう対処したらいいものか、強く注意べきかそれともまず共感するべきなのか。親として日々この境界線をめぐって右往左往し葛藤するのでしょうか。<<<

・・・思春期のギフテッドにはジレンマ、つまり、実際の年齢から離れたいという点と、そうはいっても同い年の子どもだちとつながっていたいという気持ちだ。

思春期というのは、アイデンティティをさらに強く意識する時期であり、それには社会の中でのよい仲間や彼らとの実のあるやりとりがあることが前提条件であろう。これがうまくいかないということは、両親から離れる過程に普通より時間がかかり、またより努力が必要になることも多い。

ギフテッドの子どもは、他の子どもよりも一人で過ごす時間が統計的に多い。極めて高いIQを持っている場合特に、社会生活を送るにあたっての困難がいずれにせよ多々ある。大切なことは、ほかのギフテッドとより多くのコンタクトを取ることで、彼らが抱えるだろう社会的な問題をより回避できる、ということだ。

多くの識者が指摘しているとおり、思春期のギフテッドの子どもはひとりで過ごす時間が多い。自己について深く考察し始めること、友情関係に多くのものを求めすぎるという点、そして自分の興味や才能を捧げるにふさわしいものに没頭するなど・・。

しかしいったい思春期のギフテッドは、ひとりでいることを自ら選んでいるのか、それともそうせざるを得ないもの=「必要悪」として捉えているのか? いや、彼らがひとりでいるのは、同じような傾向を持つ他のギフテッドと交わる機会がないからだろう。

周囲から強く孤立したギフテッドは、私の経験上そして多くの識者が指摘しているように、ひとりでいる方がいい、特に友だちはいらない、という「振りをしていることが多い。自分の才能でもって深く興味のある分野に取り組んでいる時はなおさらである。

しかしながらよく観察していると、多くのケースで、社会生活を送る上で不信失望不安を抱えている。だからこそ、同じようなギフテッドとの交流が必要なのだ・・・

>>>このあたりも、ギフテッドを育てる上で思春期を待たずとも大切なこと、まさに今、私たち親子で悶々としているテーマです。小学校においても日々悩むことが多く、この点でいったいどういう問題が今後起こって来るのか、それによってどういう修正する必要なのか。

ましてや思春期において、自立であるとか自己形成であるとか、自分自身をさぐるプロセスが必要な時期において、同じような境遇の友人がいるといないのでは随分違う、というのもわかります。<<<

しかしながらこの思春期についてのページは、以下の希望のある文章で結んでいます。

・・・ギフテッドにおいては、思春期は早く始まるが終わるのも早い傾向がある。そして多くの両親は報告していることも伝えておこう。

たいへん困難なこの思春期をなんとかやり過ごした後で得る大きな喜びと、子どもと生き生きとした交流を持てる素晴らしさについて!

この事実は、思春期の尋常でない揺れを耐え抜く必要があるギフテッドの両親にとって、非常に大きな支えになるのではないだろうか・・・

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毎日、息子との感情的にタフなやりとりをしながらも、ちょっとたって冷静になった彼から発せられる、自己分析の鋭さにハッとすることが多いこのごろです。

彼はわかっている、わかっているけど感情をコントロールすることが難しいんだ、と。そして彼がこの難しさを逆のベクトルに変えていけるよう、親として全力で支えたいと感じます。

この思春期というのはおそらく、子ども自身に任せなければならないところが多くなり、親は傍で見ているしかないジレンマが増えるんだろうと思います。

しかしここでも、一番身近にいて共感し寄り添う親の存在あってのことでしょうし、なんとか進んだ先には希望がかならずある!と思えることは、迷える母にとって一筋の光、のようなものでした。

ちょっとまたばたばたします。コメント等遅れますが、年末にまた〜。

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# by dksh_okys | 2013-12-22 00:27 | ギフテッドの思春期は早い?
2013年 12月 15日

ひとりぼっちはイヤなのよ〜

学童保育に4年生のフローリアンという、私好みのと〜てもハンサムな男の子がいます。どれくらいハンサムかというと、プリティウーマンの頃のリチャードギア(古い!)という感じでしょうか。

彼は友人とも遊んでますがそれと同じくらいよく一人でぼーっとしているのです。コージの幼稚園の同じグループだったので密かによく見ていましたが、特に孤立しているのではなく、単に一人でいる時間も楽しむというタイプなのだと思います。

ああいう風に一人でも友人とも楽しめるようになるというのが理想だなあと思い、折に触れて、

「フローリアンっていいよねえ。

ああやって 一人でいるって

かっこいいと思わない?

というのですが、息子にはかなり難しい。一人で淋しいということと、ひとりぼっちでいるところを人に見られるのもいやだ、ということなのかな。家で一人で遊んでいるのは苦にならないけど、外ではいやだ、というのはそういうことなんでしょう。

同じ幼稚園から来た男の子が同じクラスの二人いるのですが、コージを含めた3人で同じ学童保育に行くので、いってみれば一日中一緒にいる友だちです。今のところ、このうちの一人ジーナンと遊ぶことが今のコージにとってすべてであり、それがうまくいかないとそれこそ、

この世の終わり・・

という感じになってしまうのです。友だちとの関係による一日の浮き沈みがここまで激しいと、見ている私もつらい。

1年生くらいの男の子を見ていると、乱暴だし手加減もわからないし気分はころころ変わるし、ちょっとのきっかけでくっついたりはなれたり、だからいちいち細かいことに反応していたら身がもたないように思います。

思えば幼稚園時代、日本の学校、そしてギフテッドプログラムなど、どんな環境にても、

 友だちをつくるのに時間がかかる
→でもひとりぼっちは淋しくていやだ
→だからそこに行きたくない、

という経緯でした。

よく考えてみれば、今はずいぶん違いますが私自身もそうだったなと。

私を含めて日本人って、やはり全体的にみても「一人でいること」を楽しむのが下手な人が多いように思います。いや、一人の時に一人を楽しむというのではなく、集団の中で一人でいること、という意味です。

ドイツにて、他人は関係なくイケイケどんどん!な方々を見ていると、単純にああ羨ましいなと。

でも逆に言えば、その点が息子の凸部にもなりうるんだろうとも思っています。他人の目を気にしすぎるのは疲れますが、人の気持ちを想像し寄り添うことにつながるわけでとても大切なことですし、そういう人間になって欲しいと親としても思います。

息子を見ていると、子どもだけでなく大人を含む周りの人間をほんとによく観察してますし、そのコメントはかなり鋭い。おそらく人間の感情とか関係性とかにとても興味がある子どもなのだと思います。

問題はその程度の激しさ、でしょうか。

いやでも、その激しさ強さこそが、彼の特徴でもあるわけで・・・。ああもうわからなくなってきた〜。そしてそれにまたいちいち反応する親=私自身ももう少し客観的に見るようにしないとダメだな。でもこれがまた難しいんです、近すぎて。そして今日もまた悶々してしまうわけです。(→ OE ? OK !

いつもお世話になっているブログ、あーちゃんは数学のギフテッド
であーちゃんママが書いてらっしゃいましたが、感情の激しさを認め、それでいいんだよ、お母さんはわかっているよ、と共感しつつ、それをなにかを生み出す力に変えていけるようにサポートしてあげることなんだろうなあ。友だちの気持ちがわかるところが大好きだよ、と褒めてあげること。

一方で彼のその他のいろいろな知的好奇心がその点によって阻害されないように、一人でいることも大事だと折にふれて伝えること。激しさの海に親子で溺れそうになりながらも、少しずつ、少しずつ。。


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# by dksh_okys | 2013-12-15 15:46 | 悩み多き友だち関係
2013年 11月 30日

ドイツ人?それとも日本人?

長らくご無沙汰しておりました。

このところドイツはと~ても寒い日々が続いていますが、巷ではクリスマスの雰囲気が漂い始めたこのごろ。クリスマスマーケットも今週末から始まります。

キリストの誕生日を祝うのがクリスマスですけど、この時期のこうしたどんよ〜りとした暗さを一掃しなんとか楽しく、いやむしろウキウキとやり過ごすための切実なニーズ、これだけ大きなイベントになってきたのはそこなんだろうなあ、と。

全く関連ありませんが先日、多言語環境で育った人々のアイデンティティに焦点をあてた本を久しぶりにパラパラとめくったあと、コージにも聞いてみました。

コージってさ、自分はドイツ人だと思う? それとも日本人?

答えは、

う〜ん、ドイツ人かな。だってドイツで生まれたし。

実際はまだまだ日本語の語彙の方が豊富、よって複雑な感情をよりうまく表現できると感じているようですが、小学校がはじまり日常生活におけるドイツ語が占める割合が加速度的に増しているこのごろ。

これから思春期にかけてこの感覚も揺れ動いていくんだろうなと。

同じようなバックグラウンドを持つ子どもがいる方々に聞いてみると、私たち日本人から見るとあきらかに西洋人っぽい風貌を持った子どもでも、ドイツ社会では「日本人」と認識されてちょっとした差別を受けることもままあるようです。そのために自分の中にある日本のルーツを否定的にとらえはじめ、日本の文化や言葉を毛嫌いするようになってしまうケースもあるとか。

私たちが住んでいるところはドイツ人以外の外国人が数多く暮す大きな町なので、そういうケースはやや少ないと思いますが、ちょっと都会をはずれると多いらしい。

小学校のコージのクラスも、いろいろな背景を持つ両親から生まれた子どもが多く、ヨーロッパ系とアジア系というのは見た目が違うのでひとくくりにはできませんが、聞いた限りでもたとえばイタリア、ブルガリア、ルーマニア、ポーランド、イラン、中国、トルコ等々。そういう多国籍な家庭に育つ友だちと一緒に学校生活を送ることができるのは、コージにとっても幸運なことだと思います。

ごませんべいとおまんじゅうが大好き、日本の私の実家に帰ることを何よりも楽しみにしている、今のところ、超「日本ラブ」な彼が今後どういうように変化していくのか。

ちなみにドイツ生まれなのにもかかわらず、ドイツ人らしくない部分といえば、

じゃがいもが嫌い!
ソーセージがきらい! そして極めつけは、
サッカーが嫌い!!

ドイツ人としてのアイデンティティクライシス、あるとすればこれが原因になるんじゃあ?


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# by dksh_okys | 2013-11-30 13:27 | コージの日本語教育